ガダラの豚(1994年)

 本当に面白い。検索するとインターネットのあちこちでそういう感想が見つけられるとおり、本当に面白い。虚言でも過言でもない。

 タイトルはマタイによる福音書8章の一節からの引用。エピグラフとしても使用されているが、しょうじき文面だけでは真意が分からず、ググって解説を探した。昨今は教会がホームページで説話を載せてくれていて、いい時代だ。

 

8章28~34節 - 長野佐久教会ホームページ

 

 どうやら要点は3つ(もっとありそうだけど割愛)。

 1.イエスの行いの結果は大雑把にいうと悪魔祓いすなわち呪術がもたらすものに類型できるが、イエスは複雑な過程を経ずに遂行した。

 2.悪霊を豚へと逃がすストーリーをもって、イエスが死の支配から人々を解放する力を持つと伝えている。

 3.しかし異邦人であるガダラの人々にとって、イエスの力よりも家畜である豚のほうが大事で、この話においてはイエスに去ってもらうほかなかった。

 

 本作は呪術が大きな鍵を握っている。呪術というよりは、マジックや超能力など機序がようわからん行為全般というべきしれない。冒頭で新約聖書を引用しているが、むしろキリスト教をはじめとする西洋の文化や技術、それらに根差す思想や意識は向こうにまわされ、非西洋の文化、特にアフリカの文化が全面的に押し出されている。

 ガダラの豚の一節は、キャラクターたちが直面する不可解な出来事へとつながっている。キャラクターはイエスか、豚か、悪霊か、それともガダラの民か。あまりエピグラフに肩入れするのも読みを狭くさせるが、そう考えると敵味方とは異なる観点で作品を読める。具体的説明は長くなるので脳内に留めておきたい。

 

 『人体模型の夜』同様、先に出した要素や通底する題材の絡め方がとてもうまく、また各パートの描写も映像を見ているようで、エンタメ小説の白眉として選ばれてよい作品だった。長いし前半に比べて後半はややとんとん拍子のきらいが否めないけど、総じて無駄な場面はない。天気の悪い休日や金曜日の夜におすすめ。